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創作アカデミー 約6分で読めます

AI申告欄の時代に、「自分で書いた」をどう説明するか

T Tim · June 30, 2026 · 約6分で読めます

「これ、AIに書かせていませんよね」と聞かれて、その場ですぐに答えられる人は、ほとんどいません。

見分ける道具は試されました。AIが書いた文章を検出すると謳うツールは、人が書いた論文を機械の作と判定し、機械が書いた広告文を素通りさせます。誤判定が多すぎて、出力を証拠として扱う機関はもうありません。学術の世界はとっくに信用をやめています。厄介なのはその先です。見分けることが不可能になると、説明を求められる側が静かに入れ替わります。誰かがあなたのAI利用を立証するのではありません。書いた本人が、この原稿は自分の手から出たものだと説明する番になります。

2026年5月、その問いに歯が生えました。

アカデミーが2027年のアカデミー賞に向けて新しい規則を出しました。演技賞に出せるのは人間の演技だけ。脚本賞に出せるのは人が書いた脚本だけ。そのうえで、ある作品が生成AIに頼っていないかを調べる権利をアカデミー側が留保しました。会長のLynette Howell Taylorの言い方は率直です。「人間が創作の中心にいなければならない」。

この規則には、埋まっていない空欄があります。「人が書いた」とは、具体的にどこまでを指すのか。脚本家がAIで資料を調べた、台詞を一行なめらかにした、綴りを点検した。それは含まれるのか。アカデミーは言っていません。門だけ立てて、あとから聞く権利を残しました。三年かけて一字ずつ自分で打った書き手にとって、いちばん気まずいのがこの空欄です。やましさはない。ではそれを、どう見せるのか。

これはハリウッドだけの話ではありません。文学賞は受賞者に制作過程の申告を求めはじめ、出版社は契約書にAI条項を書き込んでいます。Web小説の投稿サイトも同じです。小説家になろうは2026年9月1日から、投稿作品にAI利用区分の申告を求めるようになりました。カクヨムにも、Amazon KDPにも、それぞれ別の設問があります。助成の審査、公募の投稿フォーム、受注先のクライアント。順番に、同じ問いが机の上に乗ってきます。これは人が書いたものですか。説明できますか。

やっていないことは、証明できません

問題の根は、その主張の形にあります。否定文なのです。

「AIに代筆させていません」。これは完成した原稿を調べても出てきません。丁寧に磨いた原稿と、AIが出した文章を人が整えた原稿は、机に並べても見分けがつきません。成果物は何も語りません。最後に書き出したPDFを一日中にらんでいても、それがどう生まれたのかは分かりません。

語るのは過程のほうです。

一枚の絵が誰の手から出たものかを、どう示すか考えてみてください。示すのは完成した画面ではありません。完成した画面は誰でも模写できます。効くのは、その裏に積み上がったもののほうです。何枚ものラフ、描き直しを重ねた構図、日付の入ったアトリエの写真、絵具の領収書。どれも単独では決め手になりません。重ねると、偽装しにくい話になります。この絵は一人の手で、時間をかけて、一筆ずつ育ったのだ、と。

文章にも、同じように積み上がるものがあります。バージョン履歴です。

本は一度で書き上がりません。第一章は四回作り直しました。第七章の結末は十二稿目でようやく落ち着きました。言葉があふれた午後もあれば、一週間かけて三百字動かしただけの時期もあります。この曲がりくねって、速度がまちまちで、書き直しの跡だらけの軌跡こそ、生成AIが作れないものです。機械が返すのは結果です。何か月もかけて人がもがいた曲線は、その下にありません。

過程を残すのは、もともと執筆の一部です

Slimaが初日からやってきたのは、まさにこれです。当時は、それがいつか申告の根拠になるとは誰も思っていませんでした。

大きな変更の前に、システムが自動でスナップショットを保存します。ここは節目だと自分で思ったときは、手動でもう一つ保存します。自動のスナップショットは時間が経つと間引かれますが、手動で保存したものは残り続けます。どの版も個別に呼び戻せて、一冊の成長が一本の時間軸に記録されます。もともとは、思い切った書き換えを怖がらずにできるようにするための仕組みでした。章を壊しても、ボタン一つで戻ってくる。その同じ時間軸が、いまは「この本は人が書いた」といういちばん自然な説明になっています。

記録が崩れにくい理由は、もう一つあります。SlimaのAIは、書き手の隣で働きます。原稿を読み、質問を返し、自分では見えない死角を指摘します。構造化されたファイルに手を入れることもありますが、その変更は破線のカードとしてその場に出てきて、採用するかどうかは書き手が決めます。そして、AIが書いたものはAIが書いたものとして記録に残ります。ここが肝心なところです。関与を隠さない設計だからこそ、記録のほうが信用されます。

そこで、いちばん直接的なことをしました。この時間軸を一つの文書として書き出せるようにしたのです。ライティングスタジオのエクスポートメニューに執筆の歩みがあります。創作の時間軸、文字数がどう伸びてきたか、自分の手で保存したスナップショット。AIの経路は三つに分けて並びます。AIが書いたもの、貼り付けと読み込み、AIへの相談。必要な人に、そのまま開いて見せられます。末尾には自分の名前を書き、一文を添えられます。この本は自分が書いたものであること、AIが自分の進め方の中でどんな役割だったのかを、自分の言葉で。

何を示せて、何を示せないのか

ここは慎重に書きます。言いすぎると、かえって書き手の足を引っぱるからです。

執筆の歩みは強い根拠になります。決め手ではありません。

示せるのは、この本が実際の時間を通り、実際の改稿の連なりを通って、少しずつ今の形になったことです。記録は各版をSHA-256のハッシュチェーンでつなぎ、サーバーの時刻を添えています。示せないことも同じくらい具体的です。その時刻はSlimaのサーバーが押したもので、第三者機関が押したものではありません。頭の中の意図は読めません。一文ずつ、誰の手から出たかを鑑定するものでもありません。誠実な根拠は、自分の輪郭を自分で示します。このレポートもその書き方をしています。書き手の代わりに話を大きくすることはしません。

それで足ります。裁判で決まることの多くは、一撃で片がつく決定的な事実によってではありません。互いに支え合っていて、全部を同時に偽装するのが難しい材料の束が、筋の通った話になったときに決まります。執筆の歩みがやっているのはそれです。「真正と認定する」という判定を渡すものではありません。信用できて、確かめられて、あとから作り出しにくい来歴を渡すものです。

本当に守られるのは、地道に書いている人です

この仕組みが誰を守るのかは、いちど立ち止まって考える価値があります。

一見すると、足枷がまた一つ増えたように見えます。以前は本をよく書ければそれでよかったのに、いまは記録まで残さないといけない。でも裏返してみてください。本物と偽物を誰も見分けられない世界でいちばん損をするのは、本当に三年かけて一字ずつ書いた人です。自分は潔白だと示す手段が、ほかの誰とも変わらないからです。

執筆の歩みは、その天秤を戻します。「本当に自分が書いた」という言い分に、机の上に置ける重さが初めて生まれます。手を抜いた人には何の役にも立ちません。過程がないものを、あとから作り出すことはできないからです。真面目に書いた人にとっては、すでに払い終えた数百時間が、他人には作れない形になります。

あの空欄は、しばらくそこに残ります。日本の著作権法第30条の4は、情報解析のための利用を権利者の許諾なく広く認めています(権利者の利益を不当に害する場合は除きます)。学習する側の線は、ある程度そこで引かれています。引かれていないのは、書いた側の線のほうです。「人が書いた」をどこで区切るのか、業界はこれからしばらく揉めるでしょう。ただ、答えが出るのを待たなくても、いま確実にできることが一つあります。この本をどう書いたのか、その記録をきちんと残しておくことです。


この文書を実際にどう作って、どう署名して、どう渡すのか。手順はこちらにまとめてあります。執筆の歩みを作成する。

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